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最高裁判所第二小法廷 昭和27年(オ)42号 判決 1954年10月29日

上告人 控訴人 原告 江森武夫

訴訟代理人 渡辺彰平

被上告人 被控訴人 被告 株式会社 埼玉銀行

訴訟代理人 阿部直之

同 鵜島志郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人渡辺彰平の上告理由について

原判決の確定するところによれば、所論本件一般線引小切手五通(金額各、二〇万円)は振出人で同時に支払銀行である被控訴銀行が上告人を受取人として振出をするにあたり、判示のごとき事情関係の下に「上告人は右小切手五通を受取ることにするが、取引の都合上どうしても現金を必要とするのであるから、後刻この小切手を持参した者に対しては、必ず現金を支払って貰いたいと要求し、被上告銀行日本橋支店長代理高橋栄次郎はこれを承諾し」たというのである。しかして原判決は右の契約関係を以て、右当事者間において一般線引の効力を排除する旨の合意をしたものと解し、かかる当事者間の合意を以て、当事者間のみにおいて線引の効力を排除することは何らこれを禁ずべき必要はない旨判示しているのである。右原判決の判断は正当であってかかる合意をもって所論のように小切手法三七条、三八条等の決意に反するものと解すべきではないのである。

その他の論旨は「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」一号乃至三号のいずれにも該当せず、又同法にいわゆる「法令の解釈に関する重要な主張を含む」ものと認められない。

よって、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見によって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎)

裁判長裁判官霜山精一は退官につき署名押印することができない。

(裁判官 栗山茂)

上告代理人弁護士渡辺彰平の上告理由

第一点原判決は法令に違背し、且つ理由に齟齬があり、当然破毀を免れない。

原判決はその理由の中に(判決四丁二九行)「惟うに小切手法第三十八条第一項によれば、一般線引小切手は支払人において銀行に対し、又は支払人の取引先に対してのみ支払をなすことを得。それ以外の者に対して支払をなすことを得ないものであるが、これに違反して支払がなされたときと雖も、支払そのものは無効となることなく、支払人は損害賠償の責任を負担するものと解すべきである。しかしながら、銀行が持参人払式にて自己宛小切手を一般線引となして受取人に交付し、受取人がなおこれを所持する場合、受取人との合意によって、何人たりとも該小切手を持参した者に対して、その支払をなすべき旨の特約が成立したときは、該合意によって、その当事者間においては一般線引の効力は排除され……」とあるが、線引小切手の線引の効力を排除することは、小切手法の精神よりすれば許容さるべきことではない。

惟うに、小切手法第三十七条第五項によれば線引の抹消を許さず、これをなしてもなさざるものと見做されるが、これは線引小切手の確実性を確固たらしめるためであり、線引の抹消を許すことは小切手取引に危険を生ずるおそれがあるので小切手法上認められていないのである。線引の抹消ですら斯く法律によって認められないのに線引小切手の線引の効力を排除するが如きは線引の抹消と同様或はそれ以上に小切手取引に危険を生ずるおそれのあるもので、たとえ当事者間の合意によるも、その合意によって線引の効力を排除することは出来ないと解すべきである。

惟うに同法第三十七条第五項による一般線引小切手を特定線引小切手に変更することは出来ても、特定線引小切手を一般線引小切手に変更することは出来ないとする規定も同趣旨に出でたもので、小切手取引安全の見地からの立法である。当事者の合意によって線引の効力を排除することが出来るの解釈は、線引の抹消はこれをなさざるものと見做すと殊更に規定した小切手法の精神に反し、同法と矛盾する解釈であるからその理論は成立たない。

小切手を線引となし得る者は振出人又は所持人である。所持人が小切手を線引となすのに振出人よりの授権を要せず、又振出人に於て爾後その小切手を取得した者が、その小切手を線引となすことを予め禁止することは出来ない。小切手は振出人により振出されて何人もの所持人を経て、最後の所持人により支払請求されることが慣例であるが、かく小切手は受取人の手を離れて転々する性質のものであり、且つ何れの所持人に於ても小切手を線引となすことを認める以上、振出人が小切手を線引となし、而も受取人との間の合意によって線引の効果を排除するが如きことの合法性を認める余地はない。

原判決の理由全文を按ずるに、原判決は上告人と被上告人との間に、本件小切手の振出人であり、且つ支払人である被上告人が本件小切手を振出すに際して、本件小切手の横線の効果を排除する特約をなして、本件小切手を振出したと認定しているが、かかる矛盾した認定は判決理由として許さるべきではない。

本件小切手(乙第二号証の一、二、三、四)が線引である事実には争いがなく、被上告銀行がそれを振出すに当って小切手面に二本の横線をゴム印によって記入した事実にも争いがない。横線を記入したことと(即ち被上告銀行の支店長代理高橋英次郎が小切手を横線記入のまま上告人に渡したことと)横線の効果を排除する特約(その特約が法律上許さるべき性質のものであるか否かは別として)をなしたことは互に相矛盾する事実であり、線引小切手の性質については熟知している筈の振出人が、小切手の振出に際して一方に於て線引の効果を排除するが如き特約をなし一方に於て横線を記入した小切手を上告人に持帰らせるが如き矛盾をなすものとは考えられないが、万一、不注意にしてかかる特約をなすべき意思表示を行ったとしても、横線記入という意思表示と矛盾したものであり重大なる錯誤に基くものというべきである。

当然、上告人主張の如く、本件小切手振出に際してかかる特約はなかったと見るべきであり、強いて被上告人の主張を容れてかかる特約の存在を認める結果は、右の如く矛盾に満ちたものとなり、それだけで重大なる齟齬というべきであるから、かかる特約の合法、非合法の理論を別としても既にこの点に於て原判決は破毀を免れない。

勿論、原判決理由一の(3) 記載の如く(原判決三丁、十二行)被上告銀行は本件小切手五通のうち三通を呈示した訴外大塚信也こと雑賀和夫に対し現金を以て金六十万円を支払い、更にそのうち一通の小切手を呈示した訴外森四郎こと水柿雄義に対し現金を以て金二十万円を支払ったが、右訴外人等と被上告銀行との間に取引がなかったことは当事者間に争いのない事実である。小切手法第三十八条第一項によると、一般線引小切手の場合には支払人は銀行に対し、又は支払人の取引先に対してのみ支払うことが出来る。即ち、法は銀行又は支払人の取引先以外に対しては支払うことを禁止しているのであって、これを強行法規であること論を俟たない。当事者間合意によって線引小切手であるにも拘らず、法第三十八条第一項に掲げる以外の者に現金を以て支払うことは、強行法規に違反したことであって許さるベきことではない。かかる特約の存在したことを被上告人が主張するも、かくの如く法律を無視し、法規に違反する特約を認めることは出来ない。若しかかる特約を認めるときは、小切手法に線引小切手について規定した精神に違反し、小切手取引における危険防止、取引安全を図る小切手法の基礎は根底より覆され、経済混乱を招く以外の何物でもなく、法の使命たる国家治安を肯かすものであるからである。

被上告人は第一審、第二審を通じて被上告銀行の善意無過失を主張するものの如くであるが、善意無過失なることの主張は何ら被上告人の賠償責任に消長を来すものではない。小切手法第三十八条第五項に規定せられた賠償責任は、前四項の規定の不遵守が仮令善意に出でたものとするも、これによって小切手関係者に損害を生じたときは、支払人又は銀行は賠償責任を負うのであって、民法上の賠償責任とその性質を異にするものである。この賠償責任は小切手法上、小切手使用の安全のために特に認められた賠償責任であって、これ以外に責任の要件を要しないこと学説判例の一致して認めるところであり、異説を挿む余地はない。原判決に(判決四丁十九行)「そして翌七日午前中右小切手のうち三通(乙第二号証の一、二、三)を訴外大塚信也こと雑賀和夫から、又同日午後右小切手のうち一通(乙第二号証の四)を訴外森四郎こと水柿雄義から、その支払人となっている被控訴銀行日本橋支店にそれぞれ呈示せられた際も、支店長代理の高橋栄次郎は右訴外人等と面接し、同人等が控訴人との間に前記特約にもとづいて、小切手金の支払を請求する者なることを確認した上、小切手金の支払をした事実を認めることができ、…………」として、線引小切手を小切手法第三十八条に違反して現金を以て支払うについて、被上告銀行は持参人を調査して、確認した上を以て支払をなしたことを理由としているが、斯く支払が被上告銀行の善意に出でたものであったとしても、なお且つ、被上告銀行は法第三十八条第五項の賠償責任を免れることが出来るものではない。即ち小切手法第三十八条第五項は無過失責任を規定しているのであって、被上告銀行に過失があったか、なかったかは同法の賠償責任ではない。

原判決はその理由中、最後に(五丁十三行)「蓋し小切手は支払の具として授受される以上、その支払の安全を確保するために線引の抹消を許さず、これをなしてもなさざるものとみなされるが、当事者の合意を以て当事者間のみにおいて線引の効力を排除することは何等これを禁ずべき必要は見ないからである。」と理由を附しているが、かかる解釈の成立たないこと前述の如くであるが右判決理由に於て、「その支払の安全を確保するために、線引の抹消を許さず、これをなしてもなさざるものと見做される。」として置きながら、「当事者間の合意を以て線引の効力を排除することは、何等これを禁ずべき必要はみない。」とくいちがった理由を附しているのは判決理由の齟齬であって、この点に於ても原判決は既に破毀を免れない。なお右理由中に「当事者間のみに於て、線引の効力を排除することは……」と当事者間のみの点を強調して置きながら、前に争いのない事実として訴外大塚信也こと雑賀和夫他一名に該小切手金の支払をなした事実を引用せるが如きも、重大なる判決理由の齟齬というべきである。勿論、右訴外人等が被上告銀行と取引のなかった事実は前述の如くであり、被上告人が右訴外人等を調査し確認したことに過失はなかったとしても、被上告人は前記小切手法による無過失責任を阻却することにはならないこと前述の如くである。

第二点よって、原判決の破毀を求め、請求趣旨記載の如き御判決を仰ぐため、民事訴訟法第三百九十四条及び同法第三百九十五条第一項第六号により、本件上告に及んだ次第である。

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